プレイ前のお風呂も料金に含まれているので楽しもうブログ:20180128
高校二年の二学期早々に、
わしは学習意欲を喪失し、成績不振から登校拒否を起こした。
午前中、「行ってきます」と出て、
図書館で一日を過ごし、夕方帰った。
不登校四日目、自分なりに考え抜いて退学を決意した。
その21時、兄やおとうとたちが寝静まるのを待ち、
父親に言った。
困惑した表情をわずかに見せた父親は多くは語らず、
強く叱ることもしなかったが、こう言った。
…いいだろう。
ただし、もうひと月だけ学校に行け。
そして、学校生活に全力で取り組んでみろ。
それでも決意が変わらなければ、退学して家の仕事を手伝うがいい。
わしには五人の子どもに分けるほどの財産はない。
ただお前たちが勉強したいんなら、
どんなことをしてでも大学に行かせてやろう。
それが、おまえたちに残すことができる財産だ…
ひと月後、あの決意をすっかり忘れて、
学校生活にのめり込んでいる私がいた。
この言葉は、
働きながら夜学に通い、
二十六歳で会社を立ち上げ、
叩き上げの商売人だった父親が
わしに残してくれた遺産だ。
西郷隆盛に、
「児孫のために美田を買はず」という遺訓がある。
「財産を残すと、子孫の精神が安逸に流れやすいからそのようなことはしない」
という戒めである。
父親は「児孫のために美田を買えず」であったのだろうが、
鍬だけは買ってやるから、後は自分の力で荒地を切り開き、
田畑を耕せと教えてくれたのだろう。
その鍬のおかげで、
わしは今日までともかくも生きてこられたような気がする。
そして、わしもまた、相変わらず美田を買えないままに、
使い古したその鍬を二人の男の子に譲り渡した。
今、男の子たちは、その鍬で汗を掻きながら田畑を耕している。